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最高裁判所第二小法廷 昭和24年(オ)229号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差戻す。

理由

上告人田熊慧訴訟代理人松尾菊太郎及び川口彦次郎の上告理由第三点について。

上告人慧は戸籍上訴外緒方松次郎と同人の妻キヱとの間に大正二年三月二三日出生した二男とて登載せられ、その後大正四年六月九日久留米市長に対する届出によつて上告人権平及び妻サメと養子縁組をしたが当時上告人慧は十五歳未満であつたため右緒方松次郎夫婦が、同上告人の父母として同人に代つて右縁組の承諾をしたものであること。しかるに、右慧は、真実は右緒方松次郎夫婦間の子ではなくて、訴外中原キクの子であることは、原判決の確定するところである。

原判決は、右の事実関係に基づき、緒方松次郎夫婦には、旧民法八四三条により前記養子縁組につき、上告人慧に代つて承諾する権利はないのであるから、右養子縁組は無効であると判示したのであるが、上告人慧代理人は、原審において、(一)養子となる者が一五歳未満である場合の縁組の代諾は一種の法定代理と認むべきである。されば無権利者の代諾は無権代理の一場合として追認によつて有効となすことができるものと信ずる。しかして、上告人慧は三歳のとき前記縁組により田熊家に養子として引取られて養育され、同上告人も亦爾来上告人権平夫婦に対して、真の父母に対すると同様の心情をもつて仕え、今日に至つたものであつて、その間大正九年中上告人慧が八歳の頃上告人権平が亡鶴田ユキを後妻として迎えるとき、上告人慧の実父母は右権平に対して、同人に将来実子ができれば後日紛争等のことが起りお互の不幸であるから離縁しては如何と申出でたところ、上告人権平はこの縁組は先代権平夫婦の懇望もあつたことであるから、実子は他家へ遣つても田熊家は慧に相続させるといつてその離縁の申出を拒絶した事実があり、又昭和一八年一〇月上告人慧が出征する際にも、上告人権平夫婦は、上告人慧に対しその実子に対すると同様の愛情をもつてその首途を祝し、なお昭和二一年九月二八日上告人慧がその妻小波と婚姻の届出をするときも、上告人権平は戸主としてこれに同意を与えている事実があるので、これ等の事実に徴するときは本件当事者間には訴外緒方松次郎夫婦のなした前記縁組の代諾について追認があつたものと認むべきであるばかりでなく、上告人慧は昭和二二年一二月二三日上告人権平に対し書面をもつて追認の意思表示を明確にしているのである。(二)仮りに右代諾が追認によつて有効となり得ないとしても上告人慧が養子年令に達した後同上告人と上告人権平との間には前記のように本件縁組を追認した事実があるので民法一一九条但書の規定にそつてその時に新たに養子縁組が成立したものと看做されるから本件縁組の無効原因は解消されたのである。と陳述したことは、記録上明らかである。

しかるに、原判決はこれに対し、要式行為である養子縁組について、無権代理の追認の法理、並びに民法一一九条但書の規定は適用の余地のないものとして、右抗弁を排斥したものである。

しかしながら、民法が養子縁組を要式行為としていることは明瞭であるけれども、民法は一面において取消し得べき養子縁組について、追認によつて、その縁組の効力を確定せしめることを認めていることは、明文上明らか(旧民法八五三条、八五五条、新民法八〇四条、八〇六条、八〇七条)であつて、しかも、民法、戸籍法を通じてこの追認に関してその方式を規定したものは見当らないのであるから、この追認は、口頭によると、書面によると、明示たると、黙示たるとを問わないものと解するの外はないのであつて、わが民法上、養子縁組が要式行為であるからといつて、追認が、これと全く相容れないものの如く解することはあやまりである。(民法が追認を認めているのは、取消し得べき縁組についてであるけれども、前示各場合は、いずれも、縁組の成立の要件に違法のある場合であつて、その本質は無効と見るべき場合なのであるが、民法は、その結果の重大性に鑑み、又、多くは事実上の縁組関係が既成している事実関係に着目し、これを無効原因とせず、取消の原因とした上、その追認又は時の経過により、その違法を払拭する途を拓いたのであつて、追認を以て縁組と本質的に相容れないものとは、民法は考えていないのである。)

旧民法八四三条の場合につき民法は追認に関する規定を設けていないし、民法総則の規定は、直接には親族法上の行為に適用を見ないと解すべきであるが、十五歳未満の子の養子縁組に関する、家に在る父母の代諾は、法定代理に基づくものであり、その代理権の欠缺した場合は一種の無権代理と解するを相当とするのであるから、民法総則の無権代理の追認に関する規定、及び前敍養子縁組の追認に関する規定の趣旨を類推して、旧民法八四三条の場合においても、養子は満十五歳に達した後は、父母にあらざるものの自己のために代諾した養子縁組を有効に追認することができるものと解するを相当とする。しかして、この追認は、前示追認と同じく何らその方式についての規定はないのであるから、明示若しくは黙示をもつてすることができる。その意思表示は、満一五歳に達した養子から、養親の双方に対してなすべきであり、養親の一方の死亡の後は、他の一方に対してすれば足るものであり、適法に追認がなされたときは、縁組は、これによつて、はじめから、有効となるものと解しなければならない。

しかして、前述のごとく、上告人慧代理人の原審において主張するところによれば、上告人慧は大正四年六月本件養子縁組の届出以後(当時同人は三歳)上告人権平並びにその妻サメとの間に事実上の養子としての関係をつづけ、権平が後妻ユキを迎えても、同人夫妻との間に事実上の養親子関係を継続して本訴提起前既に三〇年を経過したというのであつて、上告人慧が独立して養子縁組をすることのできる年令(満一五歳)に達して後も、まさに二〇年に垂んとするのである。(その間何人からも本件縁組の無効を主張する訴の提起された形迹もみとめられない。)その上、上告人慧は昭和二二年一二月二三日上告人権平に対し書面をもつて右追認の意思表示をしたというのであるから、如上慧代理人が原審において主張するような事実関係が存在するならば、同上告人は少くとも上告人権平に対して、本件縁組を追認したものと解すべきであるから原審としては、如上事実関係につき、存否を審理し、果して、上告人慧が本件養子縁組を適法に追認したかどうかを確定しなければならない。しかるに、原審は、ただ、養子縁組が要式行為であるとの理由により、追認の法理を容れる余地なしと即断して、如上事実関係について、何ら審理するところなく上告人慧の抗弁を排斥したのは、法令の解釈を誤つたものと云わなければならない。

よつて、原判決は、この点において破毀を免れないものとし、その余の論旨についての判断を省略し、民訴四〇七条を適用し全裁判官一致の意見により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

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